(続)東京の「隠れ里」、浅草橋


1995年撮影、おかず横丁にあった元菓子店の正喜商店。東洋とも西洋ともつかない不可思議な文様が装飾として貼付けられていた。

 浅草橋の街から消えた無名の名作は多い。前回に引き続き、1995年頃撮影した建物をいくつかご紹介したい。台東区鳥越にある「おかず横丁」という商店街周辺には、戦前に建てられた商店建築が多く残っていた。中でも、おかず横丁の中にあった「正喜商店」は、モルタルファサードに奇怪な幾何学模様の装飾が付いていてエキゾチックな看板建築だった。看板から察するに街のお菓子屋さんだったようだが、ここも撮影時にはすでに閉店していた。つい最近になって一般住宅に建て替えられてしまったことが判明、この美しい姿は二度と見ることができなくなってしまった。


1995年撮影の「東京三商ビル」。金券ショップの他、いくつかのテナントが入っていたらしい。撮影時はすでに空き家で、1995年中には取り壊されて駐車場になってしまった。


1995年撮影の、浅草橋駅おかず横丁へ向かう途中にあった旧山城屋洋品店。地味なファサードだが、そのシンプルさがモダンな雰囲気だった。現在は同じ建物のまま外観を改装し、花屋として生まれ変わっている。


1995年撮影のカーアクセサリー、オート用品「エヌエー」。清洲橋通り沿いに面して建っていた社屋で、外観は重厚、両端と中央にモルタル製の装飾が施されている。最近まで残っていたが、いつのまにか駐車場になっていた。


1995年撮影の「早川商店」。金太郎飴を製造販売していたところで、梅干し飴の文字を持ち上げる金太郎を描いた看板が出ていた。この撮影直後に台風が上陸し、心配なので後日訪れてみたら看板は取り外されていた。風で飛ばされたのかもしれない。