藤森照信先生からご推薦のお言葉をいただきました!

東大名誉教授・藤森照信先生より、当ブログの電子書籍版『懐古文化綜合誌ヨロヅ 特集 ペット・タウンズ』号のご推薦のお言葉いただきました!

「東京の下町にはかつて、不思議な表情をした看板建築が軒を連ねていた。彼らはその後どうなったのか。この一冊を見よ。」藤森照信

http://p.booklog.jp/book/6354

↑パブーにて100円(税込、半永久アップデート料込み)で発売中です。

当ブログが電子書籍になりました!


『懐古文化綜合誌ヨロヅ 特集ペット・タウンズ』のお知らせ


私が過去に撮影した、東京の失われた風景の写真をアップする、
このブログの写真を、この度「電子書籍」として販売することになりました。
現在ここでアップしている写真に、2010年現在の風景を撮影した写真を追加し、
全ての写真を定点観測として見ることができる構成になっています。


ビーチボーイズ不朽の名盤『ペット・サウンズ』のフォーマットをお借りして、
街の変貌ぶりの嘆きを写真特集として編集してみました。


今回、電子書籍として発行した最大の理由、
それは今後も同じ本にページを追加しつづけられるということです。
一度購入すれば、常に新しい(ページの増えた)状態に更新できるのです。


私が撮影した未アップの写真はまだまだ沢山あり、
そのほとんどが現在も東京に残っている建物の写真です。
これらの建物が現実の東京の街から姿を消した時、
その写真は、この『ペット・タウンズ』号に追加されます。
架空の街「ペット・タウンズ」の見えない境界線はいつも移動し続けるのです。
私が死ぬまで、私の撮影した写真を全てアップし終えるまで、半永久的に。


無料で10ページ分くらい立ち読みできますので、是非一度ご覧下さい。
感想などを書き込んでいただけると、作者としてはとても嬉しいです。


電子書籍パブー 『懐古文化綜合誌ヨロヅ 特集ペット・タウンズ』
http://p.booklog.jp/book/6354

谷中、根津あたりの面白い建築


1995年撮影。谷中方面から善光寺坂を下ったふもと辺りにあった電器店。銅板の緑と、タクシー「東京無線」のボディ色が見事にシンクロした一枚。


根津辺りには、看板建築の他に、近くにある東京大学向けの商売をしていた商店の建物があった。剥製店である。現在もあるアマガサキ剥製店の旧店舗は、かつて根津の赤札堂の裏の通りを更に一本裏に入ったあたりにひっそりと店を構えていた。入口にはシーラカンスを模したであろう古い看板がぶら下がり、建物は木造モルタルで、店の前は車一台が通るのも難しいくらいの細い路地だった。きっと東大等の学術用の剥製を製作していたのだろう。現在は弥生坂の上あたりに新しい建物で営業しているが、以前の建物には、戦前頃の博物学の匂いが漂った渋い建築だったのである。

大井町は良い建築の多い町(失礼)


大井町・ゼームス坂にあったヤオ理容店。1995年撮影。銅板貼りの看板建築で、ギリシャの神殿を思わせるような意匠が美しい。江戸東京たてもの園移築のため取り壊され、いずれ復元されて公開されると思われる。

京浜東北線東急大井町線大井町駅(品川区)から徒歩2分足らずのところにある「ゼームス坂」。もとは浅間坂(せんげんざか)という名前の急な坂だったそうだが、明治時代に坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修したことから、その名がついたという。この坂には戦前からの商店建築が数多く残っていた。現在もかろうじていくつかの建物が現存しているが、私が撮影した1995年頃は、上記のヤオ理容店の他にモダンな牛乳店、ステーキハウス、クリーニング店などの建物がモルタルや銅板貼りの外見で残っていた。その貴重な写真を以下にご紹介する。


ゼームス坂を下りきったところにあった大山牛乳店、1995年撮影。一見すると無意味な感じだが、デザイン的には美しい右側のモルタル装飾が素晴らしい。戦後の竣工と思われる。いつの間にか空き地になっていた。


牛乳店の向かいにあったステーキハウスロッキーと持田クリーニング。現在、両方とも建て替えられた。この坂には銅板貼りの建築が多く、現在も八百屋、鶏肉屋、海苔問屋などの建物が現存している。


坂の中程にあった銅板貼り商店、こちらも現存せず。二階右側の庇部分に麻の葉と思われる装飾があるのに気づいただろうか。

(続)中央区はオモシロ建築の宝庫


1995年撮影。蛎殻町にあった洋風の空き屋。かつて何の商売をしていたのか、あるいは住宅だったのか。ここもいつの間にか駐車場になっていた。

中央区人形町、蛎殻町は、築地や新富町と並んで戦前の商店建築が多く残る地域である。そして、他の街とはひと味違う個性的な建築が多い地域でもある。旅館、歯科医、着物屋、時計屋、印鑑店…老舗が多い地域ならではの風景が好きだった。その雰囲気は今も残っているが、今は消えてしまった貴重な風景を今回もご紹介したい。


1995年撮影。蛎殻町の路地裏にあった民家、外壁落下防止のためのネットが張られていた。中華のドンブリにある渦巻き模様の「雷文(らいもん)」が使われているのが分かる。


1995年撮影。人形町で印鑑店、焼肉店などが建ち並んでいた一角。ここも新しい建物に変わってしまい、のちに場所を特定するのに苦労した。


1995年撮影。人形町の路地裏にあった小さな旅館も取り壊されて空き地となっている。


1995年撮影。手前の小川歯科医院は現存するが、右隣りの「銅長」という看板が付いた建物が消えた。銅板貼りで三階建てという珍しい建物だった。

中央区はオモシロ建築の宝庫


1995年撮影、元機械工具販売の店だった「麻生商店」。モルタル製の手すりが付いたベランダと、天使の装飾が印象的だった。ここも2001年頃に取り壊され、大きなマンションに建て替わった。

東京・中央区。この区は、月島、佃、築地、新富町の周辺が、戦前に建てられた民家や商店が多く残っている地域である。もんじゃ焼きで有名な月島は、今も路地裏に木造の民家が建ち並び、商店街には小さな古い交番もある。築地、新富町周辺にも戦前築の建物はたくさんあった。この辺りもやはり戦禍を免れた地域で、路地を裏に入ると、そこかしこに戦前の匂いを残す建物があった。以下にいくつかご紹介したい。


1995年撮影の新富町・丸新青果店と他2軒。市松模様の色モルタルが美しい建物だった。この一角には戦前の建物が集中して残っていたが、1997年頃に取り壊されてしまったようだ。


上の丸新青果の並びに建っていた新光貨物新富倉庫。中央上部に付いた装飾は、なんと花瓶に入った花。


1995年撮影の新富町・植村家。銅板張りの商店の中でもかなりの秀作。元は貴金属を扱うご用聞きの仕事をしていたという。現在は江戸東京たてもの園に保存されている。


1995年撮影の竹田ビル。地元の建設会社で、周辺にあった近代建築の施工も行っていたという。入口には石造りの狛犬も置かれていた。


1995年撮影の築地・三共電機工業。明らかに当時違法だったと思われる木造3階建て(4階建て?)。鉛筆のような外観が個性的だった。

(続)東京の「隠れ里」、浅草橋


1995年撮影、おかず横丁にあった元菓子店の正喜商店。東洋とも西洋ともつかない不可思議な文様が装飾として貼付けられていた。

 浅草橋の街から消えた無名の名作は多い。前回に引き続き、1995年頃撮影した建物をいくつかご紹介したい。台東区鳥越にある「おかず横丁」という商店街周辺には、戦前に建てられた商店建築が多く残っていた。中でも、おかず横丁の中にあった「正喜商店」は、モルタルファサードに奇怪な幾何学模様の装飾が付いていてエキゾチックな看板建築だった。看板から察するに街のお菓子屋さんだったようだが、ここも撮影時にはすでに閉店していた。つい最近になって一般住宅に建て替えられてしまったことが判明、この美しい姿は二度と見ることができなくなってしまった。


1995年撮影の「東京三商ビル」。金券ショップの他、いくつかのテナントが入っていたらしい。撮影時はすでに空き家で、1995年中には取り壊されて駐車場になってしまった。


1995年撮影の、浅草橋駅おかず横丁へ向かう途中にあった旧山城屋洋品店。地味なファサードだが、そのシンプルさがモダンな雰囲気だった。現在は同じ建物のまま外観を改装し、花屋として生まれ変わっている。


1995年撮影のカーアクセサリー、オート用品「エヌエー」。清洲橋通り沿いに面して建っていた社屋で、外観は重厚、両端と中央にモルタル製の装飾が施されている。最近まで残っていたが、いつのまにか駐車場になっていた。


1995年撮影の「早川商店」。金太郎飴を製造販売していたところで、梅干し飴の文字を持ち上げる金太郎を描いた看板が出ていた。この撮影直後に台風が上陸し、心配なので後日訪れてみたら看板は取り外されていた。風で飛ばされたのかもしれない。