2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

(続)中央区はオモシロ建築の宝庫

1995年撮影。蛎殻町にあった洋風の空き屋。かつて何の商売をしていたのか、あるいは住宅だったのか。ここもいつの間にか駐車場になっていた。中央区人形町、蛎殻町は、築地や新富町と並んで戦前の商店建築が多く残る地域である。そして、他の街とはひと味違…

中央区はオモシロ建築の宝庫

1995年撮影、元機械工具販売の店だった「麻生商店」。モルタル製の手すりが付いたベランダと、天使の装飾が印象的だった。ここも2001年頃に取り壊され、大きなマンションに建て替わった。東京・中央区。この区は、月島、佃、築地、新富町の周辺が、戦前に建…

(続)東京の「隠れ里」、浅草橋

1995年撮影、おかず横丁にあった元菓子店の正喜商店。東洋とも西洋ともつかない不可思議な文様が装飾として貼付けられていた。 浅草橋の街から消えた無名の名作は多い。前回に引き続き、1995年頃撮影した建物をいくつかご紹介したい。台東区鳥越にある「おか…

東京の「隠れ里」、浅草橋

町中に突然姿を現す「下町の丸ビル」。ベルトのバックルなどを扱う企業の社屋で、現在は美容院に建て替えられている。 台東区浅草橋。JR総武線「浅草橋」駅周辺は、江戸通り沿いを中心に、包装用品と日本人形の問屋が集中する問屋街である。一大観光地の「浅…

文京区本郷という「魔界」

1994年撮影のニイミ書房。いつの間にか取り壊され、今は弁当屋さんに建て替えられた 東京都文京区本郷。この地域には特別な思い入れがある。なぜなら、卒業した高校があり、予備校があり、バイト先があり、出入りしていた編集部があり、そして僕が「看板建築…

「イオニア」の森

街歩きを始めたばかりのある平日のこと、『看板建築』(藤森照信著、三省堂選書)という本に載っていた「日増や」という、中華料理屋と和菓子屋が一緒に入った、和洋折衷ならぬ〝和中折衷〟商店の持ち主に話を聞こうと、布団の中で急に思い立った。当時、自…

このブログについて

生徒手帳の住所欄に、ぼくは一言、風街と書きこんで、内ポケットに入れていた。新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中だけに存在する架空の街だった。たとえば見慣れた…